2013年



ーー−1/1−ーー 元日の更新


 
今日は元日。空を覆った雲から薄日が射している、静かな朝。昨晩は、観ないと宣言していた紅白を、家族の意向でチャンネルを合わせたら、いつのまにか一番のめり込んでいた自分が情けなかった。テレビの前で、年越しそばをグイグイとのみ込み、ドボドボと酒を重ね、零時を回って新年がちゃんとやって来たことを見届けて、布団に滑り込んだ。そして、新年早々朝寝坊。

 元日の日付でマルタケを更新したのは、過去に何回あったのか。急にそんなことを思って、過去のマルタケをさらってみたら、2008年がそうだった。7年に一回の確率だけど、10年目にして二回目が回ってきたことになる。せっかく元日に更新するのだから、先週中に準備していた記事は別の機会に回すことにして、元日らしいことを書こうと思ったが、特に目出たい事も無い。

 帰省中の息子から、毎度の事ながら、このホームページに関してきつい事を言われた。デザインがださい、画像が悪い、そしてマルタケ雑記など必要ない、等々。言ってることは分かる。10年前にスタートして以来、多少の手直しはしてきたものの、基本的な部分は変わっていない。だから、時代遅れの印象は、むしろ当然である。しかし、世の流行に合わせて、どれも同じようなデザインばかりになっている中で、レトロ調のものがあっても良いではないか。画像の質が悪いのは仕方ない。プロカメラマンのスタジオに頼んでいるのでは無いのだから。それに、過去の画像は今更撮りようがない。

 このマルタケ雑記に関しては、確かに意味が無いと言えばその通りだろう。毎週、記事を書くのに多少の時間を取られるのは、厄介でもある。反響のメールが来たことは、過去10年間に一度も無い。正直に言って、もう止めてしまおうかと思ったりもする。そうすれば、一つの面倒な事から解放される。しかし、これまで続けてきた事を、ばっさりと切り捨てるのも、小心者には思い切れない。ビジネスに効果が無いという理由で止めるのも、なんとなく癪なへそ曲がり。まあこれは、自分だけの世界、頭の老化防止対策の一環として、続けて行こうと決意した。

 今年がどのような一年になるか、予想もつかない深い闇だけど、どうぞ皆様にとって幸せな365日となりますよう、お祈り申し上げます。




ーーー1/8−−− 遺伝子に組み込まれたもの?


 前々回に続き、皇室ネタを一つ。私は天皇皇后両陛下と、一対一(相手は二人だから正確には二対一か)で挨拶を交わした経験がある。

 1998年の3月、私は長野パラリンピックの会場ボランティアとして、白馬のクロスカントリー競技場に詰めていた。会期中のある日、天皇皇后両陛下が観戦に来られるという情報が入った。生で見るチャンスは滅多に無いことなので、私はちょっと楽しみにしていた。しかし、到着予定時刻が過ぎて、会場内に入られたはずなのに、場内アナウンスは無い。ひっそりと入場し、ひっそりと退場する方針だったようである。結局、観覧席に居るはずのお二人を見ることはできなかった。

 そろそろ退場される時刻になった。私は持ち場を離れて、競技場のアクセス道路まで歩いて行った。ひょっとしたら、車に乗っている両陛下を見れるかと思ったのである。道路の縁の雪の上に立って待った。林の外れの寂しい場所で、回りには誰もいなかった。

 しばらくすると、左手から黒塗りの車が数台、しずしずと下ってきた。私は「来たな」と思った。車列と私を隔てるのは、登りの車線だけ。ほんの数メートルの距離である。私は通り過ぎる車に目を凝らした。すると三台目くらいに両陛下が乗っていた。お二人は、道路際に立っている私に気が付いたようで、私に向かって揃って手を振られた。

 それを見た瞬間、私は深々と頭を下げていた。まるで条件反射のようだった。自分でも意外なくらい、躊躇なく速やかな反応だった。以前述べたように、私は天皇制に対して特に賛美する立場では無い。となると、この反応は、日本人の遺伝子に組み込まれたものだったのか。




ーーー1/15−−− パソコンの初期化


 
半年ほど前から、パソコンの動作が不安定になってきた。「Cドライブの空き容量が不足しています」などという警告が出るようになり、全体的に動きが遅くなった。このまま放っておいたら、そのうちに機能停止の事態がやって来るような気がした。

 今更私のようにパソコンに不慣れな者が言うような事ではないが、パソコンにはハードディスクという記憶装置が内蔵されている。Windowsの場合それがCドライブとDドライブの二つの領域に分かれているのが一般的で、初期設定ではCの方がだいぶ小さくなっている。ちなみに私のパソコンは、Cの容量が50ギガバイト、Dは235ギガバイトである。両者の割合は変更可能だが、ほとんどのユーザーはそのまま使い続けるようだ。

 パソコンに詳しい人は、パスして頂きたい。CとDの役割分担は、パソコンの運用に必要なソフトウエアはCに入れ、文書や画像などのデータはDに入れることになっている。何故CとDに分かれているかと言うと、パソコンにトラブルが起きて、初期状態に戻さなければならなくなった時、Cだけを初期化して、Dはそのまま残すという発想である。初期化(いったん空にすること)の対象となっているのはCだけで、Dは自動的に保存されることになっている。

 Cは、本来ソフトウエアを入れておく領域だから、大きな容量を割り当てる必要はない。そこで、初期設定ではDの五分の一くらいになっている。ところが、パソコンを使っていくうちに、だんだん余計なものがCに溜まっていく。その挙句「Cドライブの空き容量が不足しています」という状態になる。Cドライブにある程度の空きが無いと、パソコンの動作はスムーズに行かない。しかし、Cドライブの使用済み容量を、どのようにしたら減らせるかというのは、難しい問題である。ネットで調べてみたが、そのような質問は沢山あっても、これと言った解決策は見当たらなかった。

 半年ほど前に、電話で息子に相談したことがあった。息子は学生時代に、理系の研究でパソコンを使っていたので、習熟度は私よりはるかに上である。息子は、パソコンを初期化するのが一番効果的だと言った。しかし私には、それがとても大それた事のように思えた。以前Macを使っていたとき、操作を間違えて初期化を実行してしまい、全てのデータを消滅させたという、ショッキングな事件があったからである。

 この年末に息子が帰省したので、パソコンの手当てをして貰うことにした。すなわち、初期化である。

 消えては困るデータは全てDドライブに収納した。念のため外付けハードディスクにバックアップも取った。そうして、満を持して初期化の操作に入った。と言っても、実際にやったのは息子で、私は工房で別の仕事をしていたが。

 初期化を終え、ソフトウェアを再インストールした。その結果、Cドライブは十分な余裕がある状態になった。これで上手く行ったと、安堵したのである。

 ところが、翌日になると、またしてもCドライブが満杯に近くなってしまい、使用状態を表示するバーが真っ赤になってしまった。恐らく、前日から引き続きデータをいじっているうちに、何か重いものがCドライブに紛れ込んでしまったのだろう。それにしても、この急激な展開は、予想外の事であった。私はもちろん、息子にも原因が分からなかった。

 そこで私は、我ながら適切なアドバイスをした。富士通に勤めている友人に、電話をして聞いてみたらどうかと。私のパソコンは富士通の製品である。その人は息子の大学時代の友人で、富士通の技術研究所に勤めている。

 たまたま休日だったので、息子は早速電話を掛けた。ひとしきり楽しそうに会話を交わして、電話を終えた。原因は、友人にも分からないとの事だった。個々の事例について、第三者が事情を把握できないのは、当然ではある。でも、彼は有益な情報をもたらした。Cドライブを占有しているデータを特定できるフリーソフトがあるから、それを使って調べてみたらどうかと言ったのである。

 それをやってみた。すると、過去のメールのデータが、Cドライブの容量を大巾に食っていることが判明したのである。すなわち、メールのソフトと一緒に、関連のファイルをCドライブに入れたために、満杯寸前になってしまったのである。そんな事態になった背景には、メールのデータが巨大化していた事実がある。私は三年前にこのパソコンを使い初めて以来、受信したメールは、迷惑メールを除き、全て受信トレイに残したままになっている。それが積もり積もって、大きなファイルになっていたのである。

 原因が分かったので、息子は再度初期化を行った。そして今度は、メール関連を含め、あらかたのソフトをDドライブに入れることにした。デスクトップもDドライブに移した。私がまた間抜けな使い方をして、トラブルを発生させる危険を、出来るだけ回避するためである。

 かくして、パソコンは良い状態を取り戻した。もうあの不快な警告に脅えることもない。

 ところで、一段落したところで息子はこう言った。私がやってきたような使い方はまずいと。全てパソコンまかせで、どこに何が入っているかも分からないようでは、トラブルが起きても仕方ないと言うのである。

 パソコンは、言わずもがなの便利な道具である。そして、操作する人が適切な指示を与えなくても、勝手に動いてくれる部分がある。しかし、それに頼り切って注意を怠り、使い手が本来やるべきことをしなければ、勝手に動いてくれるだけに始末が悪い。後になって、訳が分からなくなり、余計な時間を取られることになる、と。

 「よく、パソコンに向かって腹を立てたり、怒鳴りつけたりしている人がいるけど(私もそうだ)、それは全て本人が悪い。パソコンは単なる道具であって、理性を持っているわけではないし、気持ちが交わせるわけでもない。何かトラブルが起きたら、それは操作をした自分のせいだと割り切り、冷静に事務的に、解決策を探して実行しなければいけない。そして普段から、トラブルが起きないように周到に気を配り、パソコンの状態を細かく把握しなければいけない。それは使っている人の責任である。その努力をしないで、パソコンの便利さだけを楽しみ、トラブルが起きたらパソコンのせいにするというのは、虫が良すぎる話だ。そういう人は、結果的に便利なパソコンによって苦しめられる事になる」と息子は言った。

 それはそうだ。まったくその通りだと思うし、自分自身反省もする。しかし、とも思う。パソコンはもはや特別な人たちのものではない。普及率が70パーセント前後になっている現在、そのような事を広く一般のユーザーに求められるか? 家電製品ですら、説明書を読まずに、行き当たりばったりで使っている人が多いというのに。





ーーー1/22−−− 職人気質


 先日テレビで、山梨県西部のある町を紹介していた。その町は昔から印鑑作りが盛んで、今でも何十人もの職人がいるという。そのうちの一つの工房にカメラが入った。取材に行ったアナウンサーの印鑑を、その場で彫ってもらうという趣向だった。およそ3時間ほどの作業だったようである。微細な先端の刃物を、切れ味良く研ぎ澄まし、直径1センチほどのツゲの材に切り込む。その加工の手際の良さは、70代半ばという職人の年齢を感じさせなかった。来上がった印鑑は、いかにも手仕事の味わいが深い、美しい印影だった。

 出来上がった印鑑を依頼主に見せる時の、職人の表情が興味深かった。一仕事終わった満足そうな顔でもないし、客の評価をうかがうような顔でもない。ニコニコもしていないし、かと言って仏頂面でもない。まるで「関係ないよ」とでも言いたげな、空虚な表情であった。

 アナウンサーが、上手くできた作品というのは、どれくらいの割合であるものなのかと問うた。すると職人は、これまで数万本を作ったが、満足が行く品物は数個しかなかったと答えた。そしてさらに、満足が行くような品物が作れるようになったら、それは仕事を終える時だというような、不可解なことを言った。

 職人に、手がけた品の満足度を聞くと、ネガティブな答えを返すことが多い。

 少し前の新聞に、民芸家具のベテラン職人が紹介されていた。椅子が専門で、これまで数千脚作ったという。そのなかで、自分が納得のいく出来映えだったものは、十脚もないと話していた。

 また以前、やはりテレビで、神輿職人の仕事が取り上げられていた。町内の人が金を出し合って、神輿を新調した。金額的には、かなりのものだったようである。出来上がった神輿が披露され、出資した人たちが口々に立派な品物だと褒め上げた。すると当の職人は「こんなものは、まだまだだ」と、冷水を掛けるような事を言い放った。

 現代的なビジネス感覚から言えば、これらの職人の発言はNGである。何十年もの間、満足が行かない物ばかり作っていたのか。そのような事は、職業として許されない。また、上手くできていない物をお客に売り付けて良いのか。売り手は、買い手が喜ぶような事を言うべきだ。少なくとも、買い手が失望するような事、疑念を持たれるような事は、口にすべきではない。とまあ、このような指導が、ビジネススクールなら入るだろう。

 その点、外国の木工家などは、調子が良い。「これまで作った品物のうち、最も気に入っているのは何ですか?」と聞かれると、即座に「今作っている物です」と答えたりする。この答えなら問題無い。現在進行形で進歩しているプラスのイメージがある。過去のお客も、不快感を持つことはないだろう。その当時は最高のものを手に入れられたのだから。さらに、また新しいものを注文したくなるかも知れない。

 職人気質というものだろうか、我が国の職人は正直で、一途で、さらに商売に疎い。それが故に、時代から取り残され、次第に世の中から消えて行くのだろう。巨額な宣伝費を投入しなければ商品が売れない時代にあって、彼らのスタイルはあまりに素朴である。せめて、上に述べた外国人木工家くらいのコメントが言えれば良いのだろうが、そんな事は口が曲がっても言えないタイプの人々なのである。

 それにしても、冒頭のハンコ職人の発言は、その真意を推察するに、なかなか奥深いものがある。おそらく彼にとって、名人というのは、その地位に立つべきものではなく、それを目指すプロセスがあるだけなのだろう。名人を目指すことが励みとなって、日々の仕事が続けられる。だから、自分が名人になったと感じたら、もはやする事は無く、仕事を続ける意味もない。そんな事を言いたかったのじゃないかと思う。それはつまり、求道者の精神である。

 作品を依頼主に渡す時の、あの空虚な表情。あれは、名声とか金儲けとかとは無縁に、ひたすら精進を重ねてきた男の、孤高の世界の断面だったのかもしれない。




ーーー1/29−−− アルジェリアの惨事


 
アルジェリアのガス田プラント人質事件で、邦人関係者が多数亡くなられた。まことに痛ましい出来事であり、悲痛な思いで報道に接した。ご家族の心中を察するに、胸が締め付けられるような気持がする。

 私も木工家になる前は、プラントエンジニアリング会社に勤めていた。その会社は、アルジェリアを含め北部アフリカ、中東など、イスラム過激派が出没する地域にも、プラントを建設してきた。

 私自身は、設計部門だったので、建設現場に出張することはあまり無かったが、インドネシアはスマトラ島北部の工事現場に10ケ月ほど滞在したことがあった。その地域はイスラムの勢力が強く、独立を画策する動きがあるとも言われていた。日本人関係者が滞在した宿舎の入り口には、機関銃を持った兵士が立っていた。

 プラントの輸出先というのは、石油や天然ガスといった資源はあるが、自前でプラントを建設する工業力はまだ不足している国、つまり発展途上国である。しかも建設地は、油田やガス田など、資源が出ている場所になるので、辺鄙な場所が多い。私が滞在したインドネシアの現場も、一歩ジャングルに入れば、腰蓑姿の原住民が、木の上の家に住んでいるような場所だった。

 そういう場所で、プラント建設の事業に携わるのは、容易なことではない。気候条件は厳しいし、衛生状態も悪い。ほとんどが単身赴任であり、残してきた家族が気になるけれど、連絡の手段は、たまに来る手紙しか無い。娯楽はないし、息抜きもままならない。国によっては、宗教的な理由で、禁酒を強いられることもある。食生活も、現地で供されるものは、なかなか馴染めない。日本から届いた差し入れのインスタントラーメンをめぐって、大の男が奪い合いをするシーンもあった。

 そのように厳しい環境に、何十ケ月も滞在して、仕事をやり遂げる。それは大変な事である。仕事と言えばそれまでだが、収入を得るという目的のためだけなら、このように厳しい状況に身を置く必要は無い。もっと楽な仕事は、いくらでもある。では、彼らをそのような仕事に向かわせるものは何だろうか。

 胸に秘めたるものは、各人様々であろうが、その根底に共通して有るものは、未知の世界に入り込んで切り開くパイオニア精神や、あえて困難なものにぶつかって行くチャレンジ精神だと思う。そしてさらに言うならば、自分たちの技術で、相手先の国や地域の役に立ちたいという、国際貢献の精神である。もちろん、我が国の工業や産業にとって、多大な恩恵をもたらす仕事でもある。しかし異国の地で汗にまみれて働く男たちの胸には、ビジネスだけでは割り切れない、雄大なロマンがあるに違いない。

 そのような敬愛すべき男たちが、政治紛争に巻き込まれて犠牲となった。残念としか言いようがない。







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